「特例有限会社の株式」
有限会社の持分制度は、特例有限会社ではどうなるのか。有限会社の持分制度と、特例有限会社の株式制度ではどのような違いがあるのか。
「時評~人間として育てるために」
人間は社会的動物と言われているが、その人間になりきらない大きな子供達が増えているようなのである。

特例有限会社の株式
有限会社の持分制度は、特例有限会社ではどうなるのか。有限会社の持分制度と、特例有限会社の株式制度ではどのような違いがあるのか。有限会社の持分は、特例有限会社では株式とみなされ、株式会社と同様の取扱いを受けます。持分制度から株式制度になったことにより、本質的な内容に変更はありませんが、無額面となること、株券の発行が可能となることなどの違いがあります。
解 説
1 持分から株式へ
特例有限会社への移行に伴い、従来の有限会社の「持分」は、会社法では株式会社の「株式」とみなされ。「社員」は、「株主」とみなされます。
このように特例有限会社に移行することによって、旧有限会社の「持分」は株式会社の「株式」とみなされますが、持分も株式も出資者である社員の地位の割合的単位であることに変わりなく、本質的には同じものといえ、内容に大きな変更はありません。
2 持分と株式の差異
持分制度から株式制度に移行することによって、以下の点が変更となる。
(1) 出資一口の金額
旧有限会社では、定款に「出資一口の金額」の定めを置かなければなりませんでした。このため、株式会社においては平成13年商法改正によって、額面株式は廃止されていたのに対し、旧有限会社では、株式会社とは対照的に、無額面株式に相当する制度が認められていませんでした。
この点、会社法では、特例有限会社も含めて無額面株式に統一され、旧有限会社にみられた資本と出資口数との関係は断絶されることになりました。規定上は、特例有限会社の定款に記載されている「出資一口の金額」はこれを記載がないものとみなすこととしています。
(2) 株券の発行
旧有限会社では、持分を証券化することはできませんでした。これに対し、会社法においては、株式会社は証券を発行しないことを原則とするものの、株券を発行する旨を定款で定める事ができると規定されました。従って、特例有限会社についても、会社法上は、定款の変更手続をすれば、株式(持分)について株券を発行することが可能となります。
もっとも、会社法では株式会社は株券を発行しないことが原則ですので、特例有限会社についても、株券を発行しなければならないわけではありませんし、特例有限会社において株券を発行する必要は高くないと思われます。
(文責)司法書士 龍見 康務
時評~人間として育てるために
人間界に異変が起きているように思われる。人間は社会的動物と言われているが、その人間になりきらない大きな子供達が増えているようなのである。
その証拠として、無差別殺傷事件が頻発している。あまりにも矢継ぎ早に発生するので、いちいち覚えている暇がないほどである。つい最近の事件を列挙してみると、
1,7月30日、愛知県知立市知立中学校において、卒業した少年(18歳)が元担任教 師をナイフで刺して重傷を負わせた。(逆恨み)
2,7月28日、神奈川県平塚市JR平塚駅東口改札付近で、女が突然ナイフを振り回し、 通行人の男性ら7人に斬りつけ、背中や胸を負傷させた。(無差別)
3,7月22日、東京八王子にあるショッピングセンター内の書店で、女性2人が男に刃 物で刺されて死傷、男は、「仕事がうまくいかず、親に相談したが乗ってくれなかった。 殺傷するのは誰でもよかった」と嘯く。(無差別)
4,6月8日、東京秋葉原において、25歳の派遣社員であった男性が、17人を殺傷す るという大量殺人事件が発生、犯人は「携帯サイトの掲示板への書き込みを無視され、 現実の世界で大きな事件を起こせば、ネットで無視した人を見返してやれると思った」 と言ったとか。(無差別)
以上のように、極最近の事件だけでも、数え上げたらきりがない。そのほかにも、親が子を殺し、子が親を殺すと言う事犯も頻発している。
動物学上、人は「サル目(霊長類)ヒト科」に分類されている。その動物である人が人間になるためには、人間になるための躾け、教育が必要なのである。それを怠ると、人は「動物である人」のまま成長し、社会的動物である人間とはなれない。従って、子を持つ親は、子供が人間として育つように幼いときから充分な躾け、教育を行わなければならないのであるが、それがどうもうまく作用していないようである。それもそのはず、今では子供どころか、子供を躾しなければならないはずの親自体がモンスターペアレントと呼ばれるように、モンスタになってしまったのだから。(勿論すべての親とは言わないが)
子供を教育する学校の先生も大変である。授業中であろうと、夜中であろうと電話してきたり、非常識な無理難題やクレームを学校に突きつける生徒の親が増加、先生はその処理に追われて、授業どころではないとのことである。
六十数年前、すなわち戦前においては、先生と言えば、親にとっても子供にとっても絶対的な権威を持っていたものである。親は先生を絶対的に信頼し、「うちの子が悪いことをしたら、厳しく指導してください」と頼み、親の言うことを聞かない子供も、先生の言うことは聞いたものである。戦後、その先生の地位が地に落ちてしまった。なぜそうなったのか。それは教育を労働と位置づけてしまったからである。先生は聖職者から単なる労働者になってしまい、労働組合を作って、自分たちの権利を主張するようになった。先生は、生徒に教育というサービスを提供する労働者になったのだから、生徒やその保護者はお客様である。お客様は大切にしなければならない。生徒が少々悪いことをしても厳しい指導なんてとんでもない。そんなことをすれば、モンスターペアレントから、即クレームがくる。
ところで、 皆さんにお伺いしたい。教育は果たして「労働」なのですか。先生は労働者のままで本当によいのですか。
(文責)行政書士 古田 嘉人