「経営計画のすすめ」
経営にたずさわるものは、会社の目的と目標を達成するために日夜奮闘しています。その苦労と努力を実りあるものにするために、第一にするべきことは経営計画を立てることです。
「時評~裁判員制度は必要か」
平成21年5月21日から実施される裁判員制度。いざ実施となると、また一悶着起きるのではなかろうか。
経営計画のすすめ
私たち経営にたずさわるものは、会社の目的と目標を達成するために日夜奮闘しています。そのための過程が経営管理活動です。
経営管理とは、会社の目的に向かって経営資源、すなわち人(組織)、物(商品、設備等)、金(資金)を効率的に統合し、調整することです。近時、経営環境が激変しています。めまぐるしく変化する状況に適応してかじ取りをしていくのは大変な苦労があります。人知れず、誰よりも苦労されているのが経営者の皆さんです。
その苦労と努力を実りあるものにするために、第一にするべきことは経営計画を立てることです。売上目標を決めて経費予算、人員計画、設備計画、利益計画そして資金繰り計画を立てます。もう頭が痛くなってきた方もいらっしゃるかもしれませんが、最初からあまり細かい計画は必要ないと思います。過去の決算書を見ながら売上と経費と利益を大まかに決めてみます。そして今年は人員の採用はいつごろ必要か、また設備投資はいくら必要か、資金繰りを考慮に入れて、計画を調整します。あとはそれを月別に計画してください。それで一応計画が出来上がりです。
つぎに経営サイクルの仕組みが必要不可欠となってきます。これはPLAN(計画)、DO(実行)、SEE(評価)のサイクルを月1回まわしていきます。計画に向かって実行していきますが、当たり前ですが、計画通りにはいきません。そこで計画と実績(月次決算)を比較検討してその差異の原因は何だったのかを検討します。そして、次月以降はそれを改善していくことです。また計画も次々と変えていってもかまいません。経営管理とは絶えざる経営改善努力であると定義することができます。達成できなくても達成できてもその不断に改善していく方向性が企業の命運を握っているのではないでしょうか。
(文責)公認会計士 魚住正治
時評~裁判員制度は必要か
政府与党は、後期高齢者医療保険の不評を少しでも緩和しようと、老人優遇策をあれやこれやと打ち出して老人の懐柔に躍起のようだが、この制度よりもっとひどいのは、裁判員制度ではなかろうか。導入されるのはずっと先のことで、自分とはあまり関係ないと思っている者が多いのではないかと思うが、1年後、すなわち平成21年5月21日から実施されることになっている。1年と言えばあっという間である。いざ実施となると、また一悶着起きるのではなかろうか。
この裁判員制度がなぜ実施されなければならないのか、その理由が、私にはもう一つよくわからない。最高裁判所の広報によると、
「国民の皆さんが刑事裁判に参加することにより、裁判が身近でわかりやすいものとなり、司法に対する国民の皆さんの信頼の向上につながることが期待されています。国民が裁判に参加する制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア等でも行われています。」
と記されているが、国民に多大な負担を強いて裁判に直接参加させなくても、裁判をもっと身近でわかりやすいものとする方法は他にあるだろうと言いたい。この制度は、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア等でも行われていると、あたかも先進国の中では日本だけがさも遅れているような書き方だが、裁判員制度と聞くと、私には西部劇に出てくる吊し首のシーンが連想されてならない。
裁判員制度のメリットとして、「一般人の考えが裁判の判決に反映される」「刑事裁判が身近なものとなる」「裁判が短期間でできる」(裁判員制度を導入するとなぜ短期間でできるようになるのかわからない)「法にとらわれない私たちが納得できる判決が出せる」(法を無視した裁判で果たしてよいものだろうか)「被告人に対して自分が聞きたいことが聞ける」(興味本位の裁判でよいのか)
要するに、裁判がお茶の間に入ってくると言うことなのであろうか。そんなお茶の間感覚で、刑法を学んだこともない素人が、軽々に人を裁いて良いものなのか。裁判を身近なものにするためなら、いっそのこと、法廷にテレビカメラを入れたら済むことではないのか。法廷にテレビカメラを入れることに問題はないはずである。なぜなら、裁判は原則公開で行われるものであるからである。誰でも傍聴できるはずである。傍聴が制限されるのは、大勢の者が一度に法廷に入りきれないという物理的理由からだけである。
人が人を裁くのは最も重い行為であろう。もともと人が人を裁くことが果たして許されるのかと言う疑問が残る。それをあえて「可」としたのは、正義の実現のためにほかならない。誰の正義なのか。それは被害者の正義であり、ひいては社会の正義のためである。 人が人を裁くという最も重い行為のために、それに携わる者は、日本で一番難解と言われている司法試験に合格した俊才に 限定しているのである。もし、今の裁判官に庶民感覚が欠けているというのであれば、それを身につけさせる方策を考えることが筋ではないのか。それをあえて一般市民に開放するというのであれば、裁判員になる者には、1年か少なくとも半年間ほどは刑法、刑事訴訟法、刑事政策、過去の判例等について、みっちり勉強させてからにしてほしい。それから、無作為に選んだ裁判員が、裁判官より高潔であるという保証はみじんもない。従って、裁判員が買収される恐れがないように、裁判終結までは一般社会から隔離する必要があるであろう。
(文責)行政書士 古田嘉人